スポンサーリンク
丹波宗一郎さん。元伊藤忠商事株式会社の社長で、就任当時4000億円近い不良債権を一括処理しながらも、翌年決算で同社の過去最高益を計上した伝説の社長だ。後に、民間出身初の駐中国大使に就任。現在は早稲田大学特命教授、伊藤忠商事名誉理事を務めている。
「読書はしないといけないのか?」2017年3月8日、21歳の大学生が朝日新聞に寄せた投稿だ。
丹波さんはこの投稿をみて、そんなことを考える人がいるのかと驚いたという。しかし丹波さんは、もしその大学生が直接私に聞いてきたら、こう答えると言っている。
「読む、読まないは君の自由なんだから、本なんて読まなくていいよ」と。
丹波さんは、読書をしないのは自由だが、読まない人は、それによって気づかないところで、とても大きなものを失っているかもしれませんね。とも言っている。
この著書は丹波さんの視点で「読書の必要性」を描いている。読書が習慣づいている人も、そうでない人も、読書について改めて考えさせられる一冊といえる。それでは早速紹介していきましょう。
本の時代が復活する。
ネット社会の普及が本の市場に与えた影響は少なくない。町から本屋が消え、情報は手の中で得られる。まさにそんな時代だからこそ、「読書はしないといけないのか?」という大学生の投稿に繋がたといえるだろう。
しかし丹波さんは必ず本は復活すると言っている。その一つは情報の「信頼性」だ。
インターネットのキュレーションサイトDeNA「WELQ」問題では、他人の記事を無断転用し、記事の内容も専門的なことが多いのに専門家の監修がないことが発覚した。まさに記事の信頼性が問われたわけだ。
その点本は、作者(専門家)、編集者(校閲などを含む)などを含め、多くの人の手が加わりチェックされて出版される。またネットのように修正や削除が容易でないため、本で発表される情報は結果的に信頼性が高いといえるだろう。そんな信頼性を求めて、自然回避のように読者は本に戻ってくるというのだ。
専門家の意見も正しいとは限らない
しかし丹波さんは、専門家の記事であっても鵜呑みにしてはいけないとも言っている。
ちょっと矛盾しているようにも聞こえるが、専門家は嘘をつくというのだ。正しくは本当のことを言わない。その信頼性について、素人の私たちにはわからないのだ。
最近の例として、原発や、築地豊洲移転問題が記憶に新しいところだろう。
また皇室の退位問題をみれば、専門家同志であっても、全く違う意見をいう。
誰が書いているのかが明らかでも、それだけでは信頼性が十分に担保されているわけではない。つまり私たちはその情報のクオリティを見抜く力が必要になってくるのだ。
見抜く力 = 考える力 = 読書
見抜く力。それは考えることであると丹波さんは言っている。
そして考える力を養うのに読書はとても有効な方法であると言っている。
経済書は、著者が何を考えメッセージを発しているのか。
小説は、主人公のその時の気持ち、相手の気持ちを考え、物語の中に入り込む。
写真集は、その写真は何のメッセージを発しているのか考え、感じ取る。
そんな考えながらする読書は、自らの考える力を養う訓練になるのだ。
インターネットは検索すれば、情報はすぐに見つかる。
しかし情報は、本来「考える」作業を経て、はじめて知識になる。
つまり端的な情報だけでは意味がないのだと丹波さんは言っている。
そしてさまざまの情報を統合し、考え、知識に変わるからこそ、情報は、人生(仕事を含む)に役立つのだ。
ハウツー本は読まない
それがゆえに、丹波さんはハウツー本と呼ばれるものは読まないそうです。
ハウツー本の特長は、これをしたらこうなったという結果歩きの本である。
最近の人は答えらしきものをすぐに求めたがる傾向が強く、書店にも多くのハウツー本が並ぶが、人生やビジネスに同じプロセスや答えはないのだと丹波さんは言っている。
それらの本を読んでも考える力を養うことはむつかしい。
同じような考えで、他人の失敗例は役に立たないとも言っている。
伊藤忠商事の業務部長時代に、会社の失敗例に目を通したことがあるそうだ。時代背景も違ければ、取引相手も違う。それを参考にしたところで成功はしない。
ではどうすればいいのか、導き出した答えは、小さな失敗を繰り返し、そのなかで考え修正していくことだと。それが結果的に大きな失敗を生まずに済む方法なのだと。
考える力こそが失敗を回避する一番の近道
冒頭社長就任時、4000億円近い不良債権を出したと書かれているが、当時部下には包み隠さず不良債権を出しなさいと、まずは膿を出し切ったそうです。そしてその後小さな失敗でも報告するようにと。それが翌年の過去最高益に繋がったことはいうまでもありません。
丹波さんは、人間は誰しもが弱い生き物だと言っている。失敗はしたくない。理想高く生きていたいと思うところがあり、まして伊藤忠商事という会社で働いている人達のエリート意識は半端ないものだったのでしょうとも言っている。
だから小さな失敗も許されない。許されないから小さな失敗は隠す。次にどうするかを考えるのではなく、真っ先に臭いものには蓋をする。それが大きな失敗に繋がるということを、身をもって経験していたのです。
隠すことではなく、どうすればよいか考える力が備わっていれば最初から大きな失敗はなかったのかもしれません。
まとめ
読書は考える力を訓練する。養う。ことができるということに尽きるだろう。
私の周りでは、読書をしないという人の方が少ない。みなさん多くが読書家だ。
それでも、朝日新聞に投稿した大学生のように、全く読まないという人もいる。
その違いはまさに、考える力の有無なのかもしれない。
TKAgent
最新記事 by TKAgent (全て見る)
- はじめてのふるさと納税 - 2020年9月26日
- 平成最期の皇居 - 2019年4月17日
- ちょっと気になるニュース - 2019年4月10日